■「リンリン」死す、上野動物園のパンダ不在に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080430-OYT1T00248.htm
(読売新聞 – 04月30日 10:13)
実は、先日、27日(日)に
東京都恩賜上野動物園
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
に行っていました。
パンダゾーンは結構混んでいたので、リンリンは、お尻を見ただけでスルーしていたのですが、近くの合同慰霊塔には長く立ち止っていたり。
さらに、お昼ご飯に【パンダがゆセット】を食べていました。
①リンリン風ミルクおかゆ
②エビのすり身揚げ
③ちまき
④パンダだんご
⑤抹茶ゼリー(熊笹エキス入り)
という、サイドメニューを飲茶風にしてあるものの、結構強烈なメニューでしたが、どうにか完食。
解説パンフレットにはリンリンが…。
まさか、これがリンリンとの最後の晩餐になろうとは…。
月曜日が休園日で、29日には展示中止で療養だったらしいので、実質最終日に見たことになります。
メニューも中止になっているのだろうか?
パンダは、和名:【白黒熊】中国名:【大熊猫】というぐらい、実質ほぼ熊で、以前は肉食だったみたいで、お粥にも馬肉が入っていましたが、パンダが希少動物になったのも元はと言えば環境の激変。
動物園には幼稚園のお別れ遠足の付き添いでも行きましたが、リニューアルで解説が増え、環境保護色が強くなったなと感じました。
カエルもツボカビの感染により大量に死亡しているらしく、国際カエル年となっています。
他にも考えさせられるテーマが多く、元々小さい時に、蟹を茹でてて「いのちだよ!」と叫んで殺すのやめてと母親に詰め寄ったり、学校で基本的人権を習った時、「何で基本的動物権はないのか」と言って食ってかかったり、動物の一種としてのホモサピエンスである人間という生き物に違和感を覚えていた私としては、改めて現代社会への不適応感を感じました。
まあ、基本は普通に変な【奴ら】を見て楽しんでいましたが。
「イィー!」と唇を開いて見ている人間を馬鹿にしてる【バク】とか、ビクともしないようで時折向きを変えて見つめてくる【ハシビロコウ】とか、【ナマケモノ】が閉園間際に素早く木に移動していく様子とか。
動物園で飼われるというのは、人間でいえば刑務所か精神病院に一生入っているようなもので、餌はとらなくていいけど、人目にさらされ相当なストレスを受けているはずですが、現代の東京砂漠を生きる大人や、環境破壊で確実に起こる近未来の未曾有の困難に立ち向かわなければいけない若者や子供たちに、自然界の摂理をふと思い出させる貴重な犠牲として、彼らは飼われているのかもしれません。
胡錦濤国家主席の来日に合わせ、政府は早くもパンダの貸与を要請しているようです。
最近の日本は、自分たちの高度経済成長期の公害問題の苦労を棚に上げて、中国の環境破壊を一方的に責める風潮がありますが、今回のことをきっかけに日本の苦しみと犠牲を伴った環境庁の設置と公害問題の解決という環境政策や環境技術のノウハウを、中国に伝える政策も加速することがあればよいなと思います。
まあでも、「ナマケモノは怠けているわけではありません」という解説にあったように、無駄なエネルギーを使わず、働き過ぎず、ひっそり大人しく生きる方が、自然の摂理としては環境負荷が少ないかもしれませんが。
22歳7か月と、人間で言うと70歳相当とはいえ、天寿を全うしたかどうかはわかりませんが、リンリンの冥福を祈ると同時に、地球の生命の未来に想いを巡らした夜でした。
あと、各社見出しの中で、「リンリン死ぬ」とか「天国へ」とか「逝く」とかが多かった中で、読売の「死す」という表現は、何かちょっと中国の英雄っぽかったり、自己犠牲的なニュアンスもあって好きでした。





